2023年2月22日水曜日

『宮本武蔵 般若坂の決斗』

というわけで「宮本武蔵」第2弾、

『宮本武蔵 般若坂の決斗』(1962)

を見てみました。

第1作の最後で、
真っ暗な独房のようなところに幽閉された武蔵。
そしてそこで3年間過ごす間、読書に励み、
「強さ」についての新しい境地に達します。
むやみに命を奪うことが強さなのではないと。
で、
ついにそこから解放され、
今度は武者修行の旅に出ます。
彼にとってのアイデンティティーは、剣術そのもの。
それを磨く旅です。
ただ可哀想なのは、
この3年、武蔵を待ち続けていたお通。
武蔵は、自分が「必ず迎えに行くから」と言っていたにも関わらず、
いともあっさり、連れて行けない、と彼女を拒否。
「ゆるしてたもれ」
という一言だけで、彼女を置き去りにします。
(いかがなものでしょう?)

第1作同様、
やはり、アクションは少なめだと感じます。
むしろ、人間たちの心理が細かく描写されていきます。
高潔な人間も、下司も。

ただ、第1作との大きな違いもありました。
第2作にも、
第1作の沢庵和尚の位置に来る人物、
つまり、映画の倫理を象る人物が登場します。
ところが!
この映画の場合、
最後の最後、
武蔵がこの倫理を拒否したところで終わるのです。
これは意外でした。

また、下世話なことで引っかかるのは、
武蔵に付き従う子どものことです。
武蔵はこの少年に、
京都への手紙を頼み、
自分は奈良で待っているからそこで落ち合おう、
と言うのです。
そんなこと、できるはずないですね。
子どもは、何を食べるんでしょう?
奈良までの道のり、
どこに泊まるんでしょう?
ちょっとムリすぎるような。
(原作にあるのかどうかは知りません。)

また、武蔵や彼の友人が、
達筆の手紙を書くのですが、
これもどうなんでしょう?
第1話の時の、
あの荒れた感じのワカモノたちが、
こんな字を書くとは、にわかに信じられません。
(江戸時代の識字率の高さ、とは、
どうもナショナル・アイデンティティー高揚のために、
1970年代に創作された「物語」だという指摘もあるようだし。)

とはいえ、第3作も見るつもりです!