2008年11月18日火曜日

一日


阿部昭の短編に、「人生の一日」というのがありました。なんだか、そんな言葉を使ってみたくなる、色々あった一日でした。

まず朝ちょっと郵便局で古書代金を支払い、大学へ。フランス映画ゼミでは、前期にも見た『憎しみ』を見ました。わたしにとっては、多分5回目くらい。やっと、やっと分かった気がしました。

昼休み前半は研究室で学生とおしゃべり。彼は午後、「遺伝子に電気をかける実験」に挑むそうです。詳細は後日!

それから学食ランチ。今日は英語の波戸岡さん、中国語の林さん、そして台湾からの留学大学院生、Kôh さん、と食べました。主な話題は、中国の社会(主義)的市場主義。中国はこれまで、自分たちは共産主語的段階にある、と宣言したことはないそうです。で今は、社会(主義)的市場主義の段階にある、ということになっているそうです。う~ん……

次は、電車に乗って40分、明治の和泉キャンパスに移動。さっそく図書館に行き、貸し出し禁止の本の閲覧を申請。待つこと5分。出てきました、まずは三好達治の『捷報いたる』。これは戦争を賛美している詩集なのですが、手持ちの「全詩集」には入っていません。まあね、入れたくないでしょうね。で、どれくらいのものかと読んでみると…… いや、思った以上の戦争賛美。「鬼畜米英」的な視点が微動だにしません。

もう一冊は、岡本潤の『襤褸(らんる・=「ぼろ」)の旗』。実は『岡本潤全詩集』の古本(4000円)を注文したので、内容的には後でじっくり読めるんですが、なんだか早く読みたくて。(もちろん実物を見たい気持ちもありますね。)この本、よかったです。あのコミュニストの闘士が、こんな優しい詩を書いていたなんて、と、何度かほろっとしました。(今度、なにかご紹介しますね。)

でその次は、今日のメイン・イベント、久間十義さんによる特別講義です。これは…… すごくよかったです! 蟹工船ブームの背景などをとっかかりに、出版・流通のシステムを考え、さらに、そのどこで「文学」は可能なのか、を問い、ポスト・モダン小説なんか読みたくないのはつまり面白くないからで、小説家として生きることは、いわば博打を打ってるようなものだけど、それはどの仕事もある程度そうで、でもわたしはまだ「文学」を抱いています…… 

久間さんの話しぶりは、とてもなめらかで、全然飽きません。なんだか久しぶりに、堂々と「文学」を語る人を見て、ちょっと感動しました。(ただ、彼は無邪気に「文学」を標榜してるわけじゃありません。この恐ろしく「信用収縮」した観念=「文学」、かつては過大評価され、その後過小評価、あるいは相応の評価を受け、今は瀕死の「文学」が、読者や作品が消え、消費者と生産物が流通する時代となった今、それでも自分はなお、「文学」で生き死にするしかない……、ということです。)

そして締めくくりは、去年まで別の大学でよく顔を合わせていた経営学部の先生の研究室の訪問です。約束通り、待っていてくれました。で、近場の居酒屋に行くことに。で、ここではお相手の先生の小学生の息子さんが、少年野球で大活躍をした話を中心に、野球の話をしたのでした。

そして今、こうしてPCに向かって、読んでくださるみなさんのことを考えています……