2008年11月8日土曜日

Contre lui


今日の東京は、イマイチのお天気でした。昨日の夜の時点では、今日はバリバリ仕事する予定だったのですが…… とはいえ、ミスドで100円のドーナツは食べました(?)。

今朝の朝日新聞に、「フランク永井とその時代」と題する、編集委員による署名記事が載っていました。――1957年の「有楽町で逢いましょう」は、それ以前には多かった「望郷歌」とは一線を画し、「都市へのあこがれをかき立てた。」 そしてそれに続く「ムード歌謡」の興隆によって、それ「以来(……)、望郷の歌はほとんど作られなくなった。」

なんだか分かりやすい流れで書いてあるので、ふとそんな気にさせられますが、これにはちょっと異論があります。まず、「都市へのあこがれ」を刺激するものとして、「有楽町~」の歌詞にある「デパート」や「ロードショー」などが挙げられていますが、これはすでに27年前、「東京行進曲」が扱った題材ですね。1957年は、「あこがれをかき立てた」というのにふさわしい時代かどうか…… 

そしてより大きな問題だと思うのは、望郷の歌が今ではほとんど作られていないかのような、記事の調子です。

彼の言う「望郷の歌」は、単に故郷に帰りたがっている歌を指しているのではありません。たとえば「東京だよおっ母さん」や「チャンチキおけさ」のような、都市暮らしの中で感じるある種のザセツまでも含めています。そういう意味で言うなら、あります、望郷の歌は。驚くほどたくさん作られていると思います。たとえば、ゆずの「君は東京」、チャットモンチーの「東京ハチミツオーケストラ」、ケツメイシの「東京」……

名前を呼ぶ 君の声が 今も胸に残る
東京の街に住んで 大人になってたって
今も 君を思い出す               (ケツメイシ「東京」)


これ、望郷ですね。しかも、ほとんど「様式」とさえいえるような。

う~ん、やっぱり誰でも、まあいいか、とスルーしにくい話題というのがあるんですね。このへんのことは、わたしには「どうでもいい」とは言えないことなんです。(なぜなんでしょう? 自分でもよくわかりません。)

さて、日本シリーズです。明日は大一番ですね!(画像は「新宿の目」です。)