まあこの The Eddy の話は、
詳しく書くとすごく長くなってしまうので、
備忘録的なメモとして書いているんですが……。
というわけで、
バンドのメンバーの民族は多様です。
ただこれは、最初からそれを意図したというより、
キャスティングの過程でそうなっていき、
どうせならこの多民族性を表に出そう、パリだし!
と発展したんじゃないかと想像しています。
で、
出演者の来歴を示すことも、
監督たちのそれを確認することもできるのですが、
まずは wiki からこれをコピペします。
通算 話数 | タイトル | 監督 | 脚本 | 放送日 |
---|---|---|---|---|
1 | "エリオット" "Elliot" | デイミアン・チャゼル | ジャック・ソーン | 2020年5月8日 |
2 | "ジュリー" "Julie" | デイミアン・チャゼル | ジャック・ソーン | 2020年5月8日 |
3 | "アミラ" "Amira" | ウーダ・ベニャミナ | ジャック・ソーン | 2020年5月8日 |
4 | "ジュード" "Jude" | ウーダ・ベニャミナ | ジャック・ソーン, Rachel Del-Lahay, Rebecca Lenkiewicz | 2020年5月8日 |
5 | "マヤ" "Maja" | Laïla Marrakchi | ジャック・ソーン | 2020年5月8日 |
6 | "シム" "Sim" | Laïla Marrakchi | ジャック・ソーン, Hamid Hlioua | 2020年5月8日 |
7 | "カタリナ" "Katarina" | アラン・プール | ジャック・ソーン, Phillip Howze, Rebecca Lenkiewicz | 2020年5月8日 |
8 | "ジ・エディ" "The Eddy" | アラン・プール | ジャック・ソーン | 2020年5月8日 |
わたしが注目したいのは、
3,4話を監督したウーダ・ベニャミラです。
このモロッコ系フランス人の女性監督は、
あの Divines を撮った人です。
http://tomo-524.blogspot.com/2017/01/divines.html
第3話での、イスラム式「納棺の儀」(と言っていいんでしょうか)は、
厳かで、よかったです。
(ただし、たとえば第4話で、
パレ・ロワイヤルで出会った二人が、その直後のシーンで、
ベルシーの河岸にいるのは「?」でした。
遠すぎるでしょ?
そしてこれは全体に関わることですが、
The Eddy という店の場所が、rue de Gravelle
(Google Map で簡単に見つけられました)
であるのに対し、エリオットのアパルトが、
51 rue de Belleville であるのも、
ちょっと離れすぎな感じがしました。
この辺りが、「パリ映画」としてはちょっと弱いです。
空間については、音楽に対してほど、
意識が向いていないようです。)
それから、5,6話を監督したレイラ・マラケシは、
なんといってもこれですね。
http://tomo-524.blogspot.com/2015/04/rock-casbah.html
彼女もまたモロッコ系です。
つまりこの The Eddy は、
才能ある若手を抜擢したわけですね。
そして最後に、ああ、それだったのね、
と感じた、エリオットと娘の会話を確認しましょう。
父は言うのです、
「パリにも黒人の歴史はある」
と。
そしてそれに続けて、
パリで活躍したアメリカ人、ブリックトップ、
https://fr.wikipedia.org/wiki/Ada_%C2%AB_Bricktop_%C2%BB_Smith
トランぺッターのアーサー・ブリッグス、
ジョゼフィン・バケール、たちの名を挙げ、
クラシック音楽ではなく、
彼らこそが自分たち黒人の「クラシック」なのだと語るのです。
ただし、
監督の出発点はそこに在ったとしても、
出来上がった作品はきわめて多民族的、多文化的なものであり、
そのおかげで、この作品はより「現代的」なものになりえたのだと思います。
(作品が、監督の意図を越えた例だとも言えるでしょう。)