先週と今日とを合わせて、
アンリ・ヴェルヌイユ監督の作品を2本見ました。
『冬の猿』(1962)
『地下室のメロディー』(1963)
『冬の猿』では、
ジャン・ギャバンとベルモンドが共演、
そして『地下室』では、
ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが共演しています。
つまり、
まさに往年のスターであったギャバンから、
新時代の2大スターへの、
いわばバトン・タッチのような位置づけの作品と考えられるわけです。
『冬の猿』は、
もう思い出せないくらい昔に見て、
「おもしろかった」という記憶だけが残っていたのですが、
どの場面を見ても、
かつての記憶はまったくよみがえりませんでした。
でも、
なかなかおもしろかったです。
ギャバンが演じるのは、
WWⅠでアジアに出兵し、
そのときの揚子江や上海の記憶を、
自分の輝ける青春の形見のように抱いている、初老の男です。
彼は今、
ノルマンディーの小さなホテルを、
妻とともに経営しています。
大酒を飲んで酔っ払い、
アジアでの記憶に浸ることが、
生きる支えになっているように見えます。
そこに、ベルモンドが客として現れます。
当初ベルモンドは、
近くの飲み屋で暴れてみたり、
無軌道で突拍子もない行動が目立ちましたが、
実は彼は、
寄宿舎に入れていた10歳になる娘を、
パリから迎えに来たのでした。
それが分かってみると、
それまでの彼の行動は、
青春に別れを告げる儀式であったようにも見えてきます。
物語は、ドイツ占領期のノルマンディーで始まり、
その後すぐに、ノルマンディー上陸作戦、
そして解放時代へと続きます。
そしてそうした時間の中で、
ギャバンはWWⅠの記憶にしがみついている……。
彼にとって、WWⅡは起こらなかったかのようです。
(これは、多くのフランス人が、
WWⅡの健忘症になっていたのと見合っているのでしょう。)
物語の終わり、
ベルモンドは娘とともにパリに帰ります。
彼は、「父親」になることを受け入れたわけです。
そしてそれは、
はぐれていた孤独な「冬の猿」が、
群れへ戻ることを意味してもいるのでしょう。
ただし、ギャバンの方は、
今後も「冬の猿」でい続けるしかない用に見えます。
『地下室のメロディー』は、
むしろはっきりしたエンタメです。
特徴的なのは、
出所したばかりのジャン・ギャバンが、
妻の待つサルセルヘ戻っていく冒頭のシークエンスです。
サルセルは、都市開発のまっただ中にあり、
ギャバンが知っていた街はもう、どこにも見当たらないのです。
ここでも、
時代から置き去りにされた男を、
ギャバンが演じているわけです。
そして彼は、
若いチンピラ、アラン・ドロンと「仕事」をするのですが……
1960年代。
これはヌーヴェル・ヴァーグの時代でもありますが、
ギャバンが去り、
2大スターが登場する時代でもあるわけですね。