いったん収録が始まると、だいたい1 時間くらいはブースの中にいることになります。といっても、その1 時間しゃべり詰めということは全然なくて、合間合間にレナさんとおしゃべりします。
「マミーってさあ、ちょっと『お母さん』ぽいけど……」
「『おばあちゃん』なんですよね。『お母さん』は、ママンだから」
「ママンね」
「そういえば、Camus のL'étranger の始まりのところ」
「ああ、『異邦人』ね」
「今日、ママンが死んだ…… そのまんま、ママンでしたね、翻訳も」
「日本ではチョー有名だけど、フランスでも読まれてる? 学校で読まされるとか?」
「読まされましたよ、高校のとき」
「やっぱり」
「レポート書きましたよ」
「もうしばらく前だけど、撃たれるのがアラブ系だってのが、問題になってたよね」
「ほんとに。物語的には、そんな必要ないですからねえ」
日本の高校で読ませる小説第1位といえば、これはいまだに『こころ』のようです。わたしも読まされました、数十年前に。でも、『こころ』を高校生に読ませることについて、むかし秋山駿氏がこう話していました;
「まだ経験も読書量も少ない子達に、あれを読ませるのはどうかな。あれを読まされると、恋愛=倫理的問題、って思いこんじゃうだよ。そういう恋愛の捉え方になっちゃう」
もちろんこれは、『こころ』の作品としても価値を問題にしているのではないんです。高校生にはどうか、ということです。まあ、「不倫」なんて言葉が成立する土壌作りには、案外こうした「課題図書」の選択も、関係あるのかもしれませんね。(こわいこわい!)
たとえばわたしは、『フランス家族事情』という新書を、レポートの課題にすることがあります。この本は、フランスの、雑に言えば「進歩的」なカップル、ないし家族のあり方を紹介していて、読ませます。ただ課題にするときは必ず、「批判ももちろん歓迎」と、釘を刺します。そうじゃないと、学生は無意識に、その「課題図書」を褒めようとするからです。それが「学校」のお約束だと誤解して。
学生のみなさん! どんなブックレポートでも、批判はOKなんです。ただ感情的にではなく、論理的に、分析的に批判してくださいね。待ってます!(写真は、『家族事情』の続編とも言うべき、『フランス父親事情』。)