昨日『こころ』のことを書きながら、一つ思い出したことがあります。
ストラスブール大学のイヴ・マリ・アリュー先生は、日本でも、中原中也の研究家として知られています。(ちなみに、「マリ」が入っていますが男性です。性別は、「イヴ」のところに現れます。オーストリア人のライナー・マリア・リルケも、男性ですね。)アリューさんは、かつて京都にいらした頃、何度かわたしの実家にいらっしゃいました。時には、奥様も一緒に。わたしの父親と、仕事の相談をしていたようです。
一昨年は、実は中也の生誕100年にあたり、それを記念したシンポジウムなどが開催されていました。で、それに合わせて来日したアリューさんと、一夜、食事をする機会がありました。その時一緒だったのは、フランス現代思想(ムズカシソ~)が専門のH先生と、日本王朝文学(ヤムゴトナシ!)が専門のY先生でした。わたしを含めた日本人3人は、同じ大学で授業をもっていました。
さてその夜、吉祥寺の佐渡料理の店で何を話したのか、もうあまり覚えていませんが、一つだけ、とても印象に残った話があります。中也は、(まあご存知の方も多いでしょうが)有名な三角関係に陥ったことがあります。で、話は「三角関係」の考察(!)に広がりました。
H「やっぱり、極めつけは『こころ』だよね。日本一知られた三角関係じゃない?」
Y「『源氏』にも、たくさん出てきますよね」
A「じゃあ日本は、昔から三角関係だらけだったんですね!」
K「フランスの、三角関係小説って言うと……?」
A「ないですよ。そもそも、三角関係、っていう言葉がない」
H「でも、浮気なんかいくらでもあるじゃない?」
A「浮気はね。でも、それは、あくまで浮気。男同士が親友なんてない」
Y「じゃあ結婚してなかったら? それは浮気じゃないでしょう?」
A「もちろん。それはね…… 経験、っていうんです! なんの契約もしてない2人なら」
Y「ええ? それでいいの? 2人はもめないの?」
A「もちろんもめます」
う~ん、やっぱり三角関係って、恋愛に倫理を持ち込んで初めて可能になるものなのでしょうか?
H「でも『源氏』の中では、三角関係、って言葉は」
Y「使われてないですよね。いつなんだろう、初めて使われたのは?」
その答えは、翌朝、Y先生からメールで送られてきました。「少なくとも江戸まではないみたい。明治以降で間違いないと思います。」ということは日本では、そう名づけられるはるか以前から、三角関係が生きられてきた、ということなんでしょうか? う~ん、そういう文化だったんですかねえ……