東京大田区に、池上本門寺というお寺があるのですが、わたしが通った保育園は、その本門寺がある山(?)の麓にあります。麓と言っても、家とは反対側だったため、毎日のように長い石段を登り降りしたものです。
その後中学生の頃、「志村」がその名を全国に広めた東村山に引っ越しました。多摩湖という人造湖と、大きな遊園地が徒歩圏にあり、最初はその「田園」風景に、子供ながら戸惑いました。で、我が家の最寄駅は「西武園」という駅でしたが、実はこの駅は、西武新宿線東村山駅から1駅、オマケのように伸びた単線で結ばれています。1駅で、終点なのです。
そして今住んでいるところには、3年ほど前に移ってきました。で、引っ越した後しばらくして初めて気づいたのは、今いるここが、ロケーション的に、あの「西武園」駅ととても似ているということでした。1駅だけ突き出た終点、都心からの距離、その「田園」具合…… これに気づいたときは、驚いたというより、なんだか自分の無意識にだまされたような気分でした。
さて、どうしてこんな話? かというと…… さっき、明日のゼミの予習関連で、吉本隆明のある対談を読みました。吉本隆明は、今の学生たちにとって有名とは言えないかもしれませんが、わたしの学生時代は、まだまだカリスマ的存在でした。文学部の学生にとって、『言語にとって美とは何か』というタイトル自体、もう読まないわけにはいかない、と思われたものです。(たまたまわたしの両親は「吉本さん」の知り合いでした。だから家庭内で「吉本さん」の名前は何度となく耳にしましたが、会ったことのないわたしとしては、やはり「言葉」の向こう側にいる書き手でした。)
その「吉本さん」は、やはりわたしのような「蛍光灯(後になって気づく人、を指す常套句。最近使いませんねえ。)」とはモノがちがい、住まいを選ぶときも、慎重に、かつて自分が育った地区と似た場所を選んでいたそうです。そして彼の言う「似た場所」というのは、ちょっと抽象的なんですけど、「下町」と「都会」の境界地域、ということでした。2つの価値を、自由に行き来するというか、並行させるというか……
う~ん、近くに自家製パン屋さんがある、なんていう理由で引っ越したわたしとしては、コメントできる立場にはございません! みなさんの家選びは、どんなものだったんでしょう? 次引っ越すとしたら、どこにしましょう?