2018年に制作されたドキュメンタリー、
Histoires d'une nation
を見ています。
このドキュメンタリーは、4部から成っていて、それは
- 1870-1927, Le pays où l'on arrive
- 1927-1954. Des héros dans la tourmente
- 1954-1973. La gloire de nos pères
- 1974-2005. Générations
です。
https://www.youtube.com/watch?v=CbpkMyw1-3U
そしてタイトルの『ある国の歴史』ですが、
「歴史」の部分が複数に置かれ、
「国」には不定冠詞が付いています。
この200分を越えるフィルムの中では、
きわめてたくさんの histoire が提示されます。
そしてそれらが流れ込む「種類」としての「国」、
ということなんでしょう。
もし「国」に定冠詞がついていたら、
それはいわば「公式のフランス」であり、
そこでは植民地主義も「善」である可能性さえあるのでしょう。
この映画は、そういうものとは一線を画しています。
今、エピソード2まで見ました。
これは、まあ教員として「勉強」すべきだろうと思って、
メモを取りながら見ていくと、
すごく時間がかかります!
でもたしかに発見もぽつぽつあって、
たとえば、1870年頃は、
イタリアから山を越えて入ってくる移民もいた、
当時、「国境」はあいまいだった、
というのです。
この国境意識の薄さの話は、
華僑たちが、東南アジアに広がっていった時代の説明では、
聞いたことがありました。
必ずしも「国」を越えてゆく感覚はなかったのです。
けれども、19世紀後半のフランスとイタリアの間で、
まあ庶民の感覚とは言え、
そういうものだったんだなと、改めて感じました。
そしてこの時代、フランスは普仏戦争に敗れ、
「国家」意識に目覚めます。
で、il faut faire des Français「フランス人を作らないと」
というスローガンの下、
まさに国家的な取り組みが始まってゆきます。
当時は、外国人だけでなく、
たとえばブルターニュにも、
フランス語が話せないフランス人はたくさんいたわけで、
学校の言語教育を通して、
彼らに国民意識を植え付けることが、
国家の大事だと考えられたわけです。
やっぱり「国民」は、
作り出すものなんですね。