雨の土曜日。ちょっと気が向いて、啄木の『一握の砂』を再読してみました。
短歌が551首。まあ、じっっっくり味わいながら読めば何日もかかるのでしょうが、うんうん、あ、そうなの? まあそういうこともあるかな? いや、それをいっちゃあおしまいよ! などとツッコミながらだと、数時間で読めました。
中で、お、こんなのがあったか、というのが、
思出のかのキスかとも
おどろきぬ
プラタナスの葉の散りて触れしを
なんだか、「じっと手を見る」人とは似合わないようにも、いやだからこそ、という気もします。
プラタナス、というと、わたしなどは、あのロス・プリモスの歌、『たそがれの銀座』の中の、
プラタナスの葉かげに ネオンがこぼれ
おもいでがかえる 並木通り
を「思出」してしまうので、この啄木の歌もきっと銀座だろう…… と思いましたが、待てよ、明治40年頃に、プラタナスはもう銀座に植えられていたのでしょうか?
で、ちょっと調べてみたら、始めて銀座に街路樹が植えられたのが明治6年。ただこのときは、主にサクラと松だったよう。でそのあと、明治17年頃に、例の「銀座の柳」が植えられ、プラタナスは…… これはどうも明治43年の、スズカケノキまで待たなくてはならないようなのです。う~ん、惜しい! でも『一握の砂』は明治41年なので、これはムリ。つまり、銀座の歌ではないのでした。
ここまで書いたので、銀座が出てきた歌を1つだけ。
春の雪
銀座の裏の三階の煉瓦造りに
やはらかに降る