今日も昨日に引き続き、ややタイムスリップ気味でした。しかも今日は、明治時代。
今はこのあたりも「東京都」ですが、「都」になったのは比較的最近で、戦争真っ只中の1943年らしいのですが、じゃあそもそも「東京」という名前は、いつ出現し、どういうプロセスで「都」まできたのか、はっきりと知りたくなったのです。
「東京」が初登場するのは、これは予想通り明治維新の時でした。ただこれは「東京府」であり、読み方も、「とうきょう」と「とうけい」、both OK. だったようです。(「とうけい」は、M.20くらいまで。)
その後M.22に、「東京府」の中心部が「東京市」になります。(15区に分けられていました。)ただ、これが今の23区の元かというと言うと、そうではなく……
昭和7年、「東京市」は15区を取り囲んでいた5郡を合併します。(この5郡は、20区に再編成されました。)で、合計で35区。これがいわゆる「大東京市」と呼ばれるもので、今の23区の元になっているようです。
この合併された5郡の中には、新宿も渋谷も含まれています。つまりそれらは、江戸から明治・大正にかけては、「東京」の中心ではなかったということなのでしょう。(もちろん新宿は、宿場町として栄えていましたが。)また、この旧来からの15区は、「江戸」として定義された場所と、完全に一致していたわけでもありませんでした。(このへんは、東京都公文書館のHPに地図もありました。)
そしてこの約10年後、最初に言った「都」に変わる、ということのようでした。
きっと、よくご存知の方もいらっしゃるでしょう。わたしは曖昧だったので、はっきりさせたかったのですが、なんだかこれだけ調べるのに、ずいぶん時間がかかってしまいました! でも、面白かったです。(そうそう、M.2の人口調査では、「東京府」の人口、50万人でした。あと、大正2年の車の台数が、350台。なんか可愛いです!)