2008年9月6日土曜日

遠きにありて


今は昔、放送中に出てきたこの句;

白粥(しろがゆ)に 卵がひとつ おはします

かすかに聞き覚えがあるでしょうか? いわゆる「卵かけご飯」の、あたたかな感じが伝わってきますね。この句は、室生犀星(むろう・さいせい)という人が作ったのですが、この名前、お聞きになったことがあるでしょうか? いや、初耳です、というあなたでも、きっとこれはご存知でしょう;

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの

そう、これも犀星です。彼は金沢出身です。

この「ふるさとは~」は、実は続きがあります。こうです;
                                               よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ泪ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや        (「小景異情 その二」)


この「ふるさとは~」の詩、要は「ふるさとはいい所だよ。帰りたいなあ」みたいな歌だと思ってらっしゃいませんでしたか? 実はわたしも、かつてそう思っていたひとりです。でも、続きの部分を読むと、全然そうじゃないのが分かります。だって、「たとえ乞食になっても、帰るところじゃないぞ」っていうんですから。

「遠きにありて思うもの」っていうのは、ズバリ、「帰るな」とイコールです。そう、帰るべきなのは、「みやこ」なんですね。つまり故郷は、なんというか、意識されはするけれど、ほとんど現実の存在じゃないんです。思う対象に過ぎないんです。

う~ん、ちょっと意外な内容なんですね。(というようなことを、今日は読んだり書いたりしてました、ガラガラの大学図書館で! ちなみに画像の『犀星詩集』は、680円です。)