2016年9月1日木曜日

『霧の波止場』

先日の『大いなる幻影』に続き、
フランス映画の<古典>パート2です。
この映画は、たしか高田の馬場駅近くの映画館で、
友人と見ました。35年くらい前かな。

『霧の波止場』(1938)

つまり開戦前夜の作品だということになります。

https://www.youtube.com/watch?v=z3faZQez6t0

舞台は港町ル・アーブル。時代は「現在」。
パリ生まれで、
インドシナの植民地舞台に所属していたジャンは、
戦地に嫌気がさして脱走兵となり、
外国への高飛びを目論んで、
この港町にやってきます。
ただし彼は一文無しで、特に計画とてないのですが。
そこで彼が出会ったのが、ネリーという若い女性。
彼女は、キモイ養父と暮らすのが嫌で、
好きでもない男と結婚しようとしていましたが、
養父が、この男を(嫉妬から)殺してしまいます。
(←これは後からわかるわけですが。)
ジャンとネリーは、あっという間に恋に落ちます。
でもジャンは、とにかく逃げねばならず、
ベネズエラ行きの船に乗り込むものの、
ネリーが忘れられず下船してきたところを、
彼を恨んでいたチンピラに撃たれ、あえなく死んでしまいます……

かつてヴィシー政権は、
この映画がフランス人の戦意喪失を招いた元凶だと
批判したそうです。
フランスは1940年には、
ドイツの支配下に入るわけですね。
たしかにこのフィルムの主役は脱走兵であり、
映画全体にあからさまな絶望感が漂い、
これがヒットしたというのは、
当時の人たちの精神状況が伺われるというものでしょう。
このペシミスティックなイデオロギーは、
ドイツ・ロマン主義的だ、と指摘されることもあります。
つまり、この映画は、
いわゆる「フランスのエスプリ」ではないというわけです。
脇役ですが、自殺する若い画家などは、
時代とか歴史とか政治とかではなく、
個人の、内的な苦悩から死に至るのであり、
彼は時代状況を主体的に生きているわけではありません。
もちろん主役のジャンも、
最後は破滅するわけです。

スタッフ・キャストは、
マルセル・カルネ、ジャック・プレヴェール、
ジャン・ギャバン、ミッシェル・モルガン、
ミッシェル・シモン、ピエール・ブラッスール
と、おなじみの面々です。