レダ・カテブ主演の映画、
Qui vive
を見てみました。
このタイトル、 qui-vive という形だと「誰だ」、
être sur le qui-vive だと「監視する」、
となるわけですが、
主人公の仕事が大型スーパーの警備員であることから、
このタイトルが付いているのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=kILoqQjLUPs
主人公シェリフは、看護師を目指していますが、
すでに3回、受験に失敗しています。
で、次の受験を目指し、今は警備員をしているんですが、
そこに、毎日、まだ高校生くらいの、悪ガキたちがやってきます。
これがウザイやつらで、
なにかとシェリフにちょっかいを出してきます。
シェリフは、バスで知り合った女性と仲良くなりますが、
一緒に出掛けたクラブで、またそいつらと出会い、もめごと。
そのご、さらに大きなトラブルに発展し……
というお話。
スーパーの警備員といって思い出すのは、
これです。
http://tomo-524.blogspot.jp/2016/02/cesar-2016.html
この映画、今月末から、
日本でも公開されるんですね。
La loi du marché
『ティエリー・トグルドーの憂鬱』というタイトルです。
http://measure-of-man.jp/
当たり前ですが、どちらの作品の場合も、
「スーパーの警備員」という仕事が、
フランス社会で持っている意味を踏まえることが必要です。
しかしそれにしても、
映画の日本語訳タイトルって、相変わらずですねえ。
アメリカ版(英語版)のタイトルは、
たいてい直訳なので、
日本語タイトルの超訳ぶりが目立ちます。
もちろん、フランス語と英語のほうが、
はるかに訳しやすいということはあるにしても。
一概に否定はしませんが、
いつまでたっても「愛」と「憂鬱」と「眠れ」(的命令形)ばかりでは、
ほとんどラベリングにも感じます。
この『ティエリー・トグルドーの憂鬱』は、
決して個人の「憂鬱」ではなく、
フランス社会の問題だと思うのですが。