敬愛する川本三郎さんの本を読んでいて、
とても見ないではいられない紹介のされ方をしていた映画、
『ケイン号の叛乱』(1954)
を見てみました。
公開年は、『ゴジラ』と同じ年です。
https://www.youtube.com/watch?v=q1rTU9oXroM
wiki に、わりと長いストーリー紹介がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイン号の叛乱
要は、
プリンストン大学出で、
たった3か月の研修を受けたキースが、
少尉としてケイン号に乗り込み、
そのたたき上げの艦長(ハンフリー・ボガード)と対立。
その結果、
船員たちと艦長の間に軍法裁判沙汰が持ち上がり……、
というお話なんですが、
実は見どころは、
この裁判の結果出たあとに訪れます。
<以下ネタバレです>
艦長は、船が台風に会った時、
船員たちによって急遽その任を解かれたのですが、
それを反乱罪として訴えていました。
実はこの艦長は、
緊迫した場面で取り乱す人間で、
また偏執狂的な側面も強くあったのですが、
裁判自体は、艦長が勝利するものと思われていました。が、
船員たちに優秀な弁護士が付いたことで、
彼らの側が勝利するのです。
そして彼らが勝利の美酒に酔っていた会場に、
くだんの弁護士が現れます。
そしてなんと、かれらに言うのです、
本当は艦長の弁護をしたかった、
わたしが法律を勉強し、
君たちがプリンストンにいたころ、
艦長(的な人たち)は、銃を取って戦っていたのだ、
しかも君たち(インテリ)の中には、
裏切り者がいるじゃないか、と。
この演説は、
映画の中で浮いています。
でもだからこそ、
ここは重要なのです。
これは川本さんの本(『映画の戦後』)の受け売りですが、
この大演説の背後には、
あの「赤狩り」があるのだそうです。
そう、この作品の監督エドワード・ドミトリクは、
あの「ハリウッド・テン」の一人で、
出所後は「転向」し、
「密告者」となった人です。
船員たちは、「赤」だとされた「インテリ」たちの比喩、
船長は、彼らを糾弾した「大衆」。
映画内で、
ドミトリクはあえて「インテリ」に勝利させ、その上で、
本当は「大衆」の応援をしたかった、
と言っていることになります。
自分を「転向者」「裏切り者」と呼んだ「インテリ」たちに対し、
自分の中にある「大衆」へのシンパシーを提示してみせたと。
おもしろい指摘で、
実際見てみて、
なるほどと思いました。
つまり、「赤狩り」は、
単なる左右の対立ではなく、
東部の裕福なインテリと、
南部などの大衆の対立だったわけですね。