2021年5月16日日曜日

『ボディガード ー守るべきものー』(続)


昨日、この作品について、
かなりおもしろい、と書きました。
一夜明けて、その思いは変わっていませんが、
根本的な疑問も浮かんできました。

<以下、完全にネタバレします>

昨日書いた通り、
David と、彼が警護に当たる内務大臣 Julia は、
その政治的信条の大きな隔たりにもかかわらず、
それとは違う次元で共鳴し、
男女の関係になっていきます。
ここが、意外性があっておもしろいところ。
なにしろ、
かたや「国家」の忘恩と理不尽を恨み、
かたや「国家」の権力の増大を企図していたわけですから。
ここには、表面的ではない対立があります。
でも、
その後のテロで Julia が死んだことで、
対立する政治的立場をどんな風に摺り合わせるのか、
それは、男女関係にとってどこまで影響するのか、
政治的信条とは、そもそも人間にとってどこまで重要なのか、
「国家」についてはどうか、
というような、すぐに思いつける問題もすべて、
回答しないまま放置されることになってしまいました。
David は、自分が警護を担当した人間、
しかも特別な個人的繋がりを持った人間が殺害されたことで、
とにかく、その犯人を追い詰めることだけに、
すべてを賭けるようになります。
その過程は、たしかに物語としては、
スリリングで楽しませてくれるものなのです。
けれども、事件が一応の解決を見たあと、
David は別居していた妻とも関係を好転させ、
そこで映画が終わってみると、
上に挙げたような問いは、
もうまったく視野に入っていないようで……

まあ、好意的に見れば、
Julia が死んでしまった今、
そうした問題は実際もう動きようもなければ、
試しようもないわけで、
そういう意味では、
このドラマの流れは仕方ないとも言えるでしょう。
でも、やっぱり少し宙ぶらりんというか、
問題を投げた瞬間に糸が切れてしまった感じで、
そこはもう少し掘り下げてもよかったのかなと思います。
まあ、ないものねだり、なのかもしれませんが。

(上に画像を挙げた雑誌インタヴューの中で、
監督である Jed Mercurio は、
いわゆる「絶対死なないキャラクター」とか、
「いつも決まった軌道上にいるヒーロー」とかがいやで、
ドラマ・シリーズ内で「変化」があることを望んだ、
それが Julia が死んだ理由だ、と発言していました。)