2021年5月4日火曜日

『ファトゥマ』


日々のコロナ関連ニュースを気にしながら、
同時に、宣言解除の時期に気をもみ、
解除後の授業の形態も気にかけながら、
もう、いくつ「気」があっても足りない今日この頃です。
最初の宣言から1年以上経って、
「過去最高」レベルとは……。
多くの人が指摘している通り、
県境を越えての移動は×だけど、
国を越えての移動が条件となるスポーツ・イヴェントは強行するというのは、
筋が悪いように見えます。
で、
都民、国民の不安や、まず避けられない犠牲を前提としてまで、
誰を儲けさせなければならないのか?
と、つい問うてしまいますが、
もう、今の「トップ」たちの思考の形がそうなのだから、
そしてそれは死ぬまで変わりそうにないから、
問いや皮肉はカエルの面に……なんでしょう。
これも多くの人が指摘している通り、
選挙でメッセージを伝えるしかなさそうです。
あのイヴェントについて言えば、
わたしの周りには、
「ゼッタイ無理だから中止になる」
という意見と、
「行われる、史上サイテーの大会が」
という意見が、
ほぼ拮抗していますが、
これは、視点をずらしているだけで、
言ってることは同じですね。

さて、
前置きが長くなってしまいましたが、
ネトフリで配信されたばかりのトルコのドラマ、

『ファトゥマ』

を見終わりました。

トルコ関連の映画は、
たとえばファティ・アキンなどでも見てきましたが、
ドラマは初めてです。
で、
宣伝文句では、

  平凡な掃除婦ファトゥマは、
  行方不明になった夫ザフェを探している間に、
  誤って殺人を犯してしまう。
  ごく普通の"掃除婦"にしか見えない彼女は、
  姿を現さない殺し屋となっていく。

と謳われていて、
つまり女性の殺し屋によるサスペンス? 
と思って見始めたのですが、
ぜんぜん違いました。
物語的にはなかなかスリリングなんですが、
終わってみると、
かなり悲しい、そして重い物語なのでした。
イスタンブールの街や海がきれいで、
それが悲しさを緩和している部分はたしかにあるのですが。

ついさっき見終わったばかりで、
距離を取って評価するのがまだ難しいんですが、
悪くない、と思いました。