2021年5月21日金曜日

『存在のない子どもたち』

好きな映画の1つに、
ベイルートを舞台にした『キャラメル』がありますが、


(↑ 10年以上前の投稿! こんな日が来るとは。)

この映画で監督・主演をこなしたナディヌ・ラバキの新作、

『存在のない子どもたち』

を見てみました。


(実は、授業で使う予定だった『判決、ふたつの希望』が、
アマプラで見られなくなっていたので、
同じベイルートを舞台にした映画の中から、
これを選んだのでした。
4月に確認した時は見られたんですが……。
ちなみに『キャラメル』も、今は見られません。残念。)

主な舞台は、ベイルートの Bourj Hammoud なんですが、
それはこの記事で知りました。


12歳(かどうかも本当は不明)のザインは、ベイルートの「スラム」で、
両親&6人の兄弟たちと暮らしています。
子だくさんなのに子どもを愛しているようには見えない両親は、
ザインの出生届さえ出しておらず、
彼は当然身分証もありません。
学校へも行かせてもらえず、
朽ちかけた部屋に住み続けるため、
大家に対し、労働力としてザインを差し出しています。
しかし、一番仲のよかった11歳の妹が、
鶏二羽と交換で嫁に出されたのをきっかけに、
ザインはついに家を飛び出し、
やがて、エチオピア系の不法移民である若い母親と出会います。
ザインは、彼女の1歳になる息子の世話を焼くことになり……

2時間を越える長尺で、
見ていて胸が苦しくなりました。
ただそれは、健気に生きる少年の姿、
なんてものじゃありません。
もちろん健気ではあるんですが、
彼は、いっぱしのワルのようにしゃべり、
強烈な行動力で現実を切り開こうとするものの、
その現実は、どうしようもなく分厚いものなのです。

wiki を見ると、critiques がまとまっていました。


わたしはいい映画だと思いましたが、
批判の中にも、うなずける点はありました。
たとえば、

" ...évacuant toute possibilité d’entrapercevoir la généalogie de ces malheurs"

"Nadine Labaki ne contextualise aucun élément, 
les parents odieux et misérables sont saisis comme des prototypes 
sans jamais accéder au statut d’individus un tant soit peu nuancés. 
De même, le quartier périphérique où ils vivent 
pourrait être celui de n’importe quelle ville au développement anarchique. "

もし監督が、世界のどんな都市でも起きることだ、
と考えているなら、
逆に、ベイルートという土地にもっともっとコミットしたほうが、
かえって普遍性を帯びたのに、
という思いは、わたしにもありました。
でも、いい映画だとは思います。