『揺れるとき』(2021)
を見てみました。
舞台はロレーヌ地方、
ドイツ国境すれすれの田舎町、フォルバックです。
(最寄りの都会はメッス。)
その町の、低所得者用団地に暮らす4人家族。
離婚したてで、酒好きで、気性が荒く、
男好きで、家事はかなり手抜きで、たばこ屋で働いている母と、
仲間や恋人と遊び回っている長男、
10歳で主人公でもあるジョニー、
そしてその小さな妹メリッサ、
この4人です。
映画の冒頭は、
この母親が離婚し、家を離れる場面です。
そこから遠くない
(というのも、荷物を持って歩いて行ける距離です)
団地に引っ越すのです。
そしてその頃、
ジョニーの新しい担任が着任します。
この、若くて熱心な教師ジャンの影響で、
夢を描けなかったジョニーの意識が変わってゆきます。
ジャンはジョニーに本を与え、励まし、
またたまたま知り合ったジャンの恋人ノラ
(イジア・イジュランが演じています)
は、自分が勤務する美術館にジョニーを招待したりもします。
つまりジョニーは、
生まれて初めて、
文化資本というものに接する機会を得て、
そういう世界に魅了されます。
(先生であるジャンへの憧憬も重なります。)
が、現実は冷酷。
母親は、ジョニーが奨学金を得て寄宿学校に入るのを許しません。
幼いメリッサの面倒を見させるためです。
仕事もあるでしょうが、男と遊びたいのです。
そして兄も、手伝う気持ちなどまったくありません。
ジョニーは、マクドナルドで働くのはイヤだ、
ママみたいな仕事はイヤだ、
いい仕事に就きたい、
とはっきり言います。
でも、それは簡単には見えません……
ジョニーは頭のいい子で、
『ハマータウンの野郎ども』に描かれたような、
自ら進んで「労働者的な価値観」に入りこんでゆく子どもではありません。
脱出したいのです……
わたしには、
余計な要素もある気がしましたが、
フランスの田舎のあるクラスターの内実を見せている点では、
見るに値する映画だと思いました。
特にジョニーの母親は、
おそらく彼女自身に似た母親に育てられ、
これ以外の生き方を知らない人に見えました。
ジョニーのことは愛しているけれど、
愛し方もまた、こんな形以外は知らない……
そして「チャイルド・イン・タイム」。
映画が終わる数秒前には、
ああ、終わるんだな、と気づきます。