朝鮮族が描かれているということ、
女性が主人公だということ、
この2点で見始めたのが、
『コインロッカーの女』(2015)
です。
コインロッカーに捨てられた女の子が、
臓器売買を手掛ける朝鮮族マフィアの女性ボスに買い取られ、
育てられ、
マフィアの一員として働く、
けれどもその過程で出会い、
人間の心を取り戻しかかるも、
それは彼女にとって「お母さん」となったボスにより、
あっさり殺される、
そして彼女も殺されかかるけれど……
というお話。
まあ、結論から言えば、
イマイチでした。
韓国でたくさんの映画賞を獲ったようなんですが、
深刻さが仇になっているように感じました。
そして、またもやミソジニー。
ボスの女性と拾われた娘、
映画の終末近く、
この二人が交わすのは、
わたしたち以外みんな死んだ……
という言葉です。
そう、
主人公にやさしくした若者も、
彼女のことが好きだった男たちも、
彼女の「兄」も、
死んでゆきます。
この二人は、もう「死神」級です。
ホモソーシャルであるのが「ふつう」の世界において、
女性ボスを戴いたせいで、
男たちは破滅するのです。
もう、ミソジニー以外の何物でもありません。
この映画に対するわたしの評価は、
かなり低いです。