その当時、たとえば東洋拓殖などに土地を奪われ、
中国領に移民した人たちもいたわけですが、
(そしてそれが、現在、
韓国映画における朝鮮族の登場の背景の一つでもあるわけですが)
そうした庶民の動向とは別に、
朝鮮王家の人たちが余儀なくされた人生というものも、
当然あったわけです。
それを描いたのが、
『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』(2016)
です。
この映画は、史実に基づきながら、
そこに大胆なフィクションを組み込んで作られています。
主人公は、徳恵翁主、王の側室の娘です。
彼女の人生が、この映画の「物語」を形成しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/徳恵翁主
彼女が生きたのは、1912~1989 ですから、
日本によって植民地化されていた時代、
世界大戦、そして独立、
朝鮮戦争、
軍事独裁、
民主化、
まで、韓国の近代を身をもって生きたわけですが、
王族だけに、
それぞれへのかかわり方が、
やはりきわめて特異です。
まず、植民地時代、
12歳になっていた1925年、
彼女は日本に留学させられます。
これはいわば、「人質」であり、
朝鮮王室が、天皇家に、日本政府に、
逆らえないようにするのが目的でした。
ただ日本において、表面上は、
皇族並みの厚遇を受けてはいました。
(徳恵翁主が住んだのは、赤プリの旧館。
大学卒業の時の謝恩会は、そこでやりました。
今思うと、不思議な気がします。)
1931年には、日本の皇族と結婚し、
子どもももうけ、
そして終戦。
韓国は独立します。
彼女は、夢にまで見た帰国を果たそうとしますが、
イ・スンマン政権は、
旧王族の帰国を拒否。
彼女は日本に留まらざるを得なくなります。
戦後、離婚した彼女は、
精神を病み入院。
その後1962年、
つまり終戦後17年も経って、
やっと帰国することができましたが、
その時には、
彼女の病は深く進行していました……
J'avoue que ...
わたしは、貴族だの王室だの皇族だのが登場するフィクションには、
基本、あまり感情移入できません。
彼らの考え方も、悩みも、喜びも、
サイズの合わないジャケットのような感じ。
で、
今回も、そういう感じで見続けていたのですが、
終戦後に帰国を拒否されたあたりから、
人間的な苦しみが画面に溢れ始めました。
わたしとは違う価値観の人ですが、
やはり、その苦しみには、ただならぬ気配がありました。
いい映画だと言うつもりはないのですが、
人間・徳恵翁主には、
惻隠の情を禁じえませんでした。