これはおもしろそう!
と期待していたDVD、
到着して見てみました。
(そして今探して気づいたんですが、
ネトフリで見られるようです!)
Shéhérazade (2018)
https://www.youtube.com/watch?v=UXgr89fF0zk
https://www.netflix.com/jp/title/81012340
これ、最近見たフランス映画の中では、
一番印象的で、わたしはかなり好きでした。
17歳の少年ザカリは、刑務所を仮釈放されたばかり。
新しいカレシができた母親には、
実家に戻ることを拒まれ、お金もなく、
ワル仲間に会いに行くも、
あまり歓迎されず……。
ただ、出所祝いとして、
「ダチ」が娼婦を奢ってくれると言い出します。
で、その中にいた少女が、シェエラザード。
彼女もまた、母親に疎まれ、
Place Alexandre Labadie (サン・シャルル駅のすぐ近く)で、
娼婦をしながら自活しているのでした。
ただし彼女は、弱々しい女性ではありません。
自分に敬意を払わない者に対しては、
媚びたりはしません。
そしてこの二人(と、もう一人のトランスジャンルの娼婦/夫)は、
一緒に暮らし始め、
そのままザカリは、シェエラザードのポン引きになります。
それは、(「ノーマル」な目から見れば)
屈折した恋愛の始まりでした……
二人の若者は、
親から愛されていません。
シェエラザードは、寝るときに親指をしゃぶるのです。
そしてある夜、
さびしくなったザカリは、
安物のベッドを彼女のベッドの横にピタリと押し付けます。
やさしく腕を伸ばシェエラザード。
でもその時、ザカリは彼女に背を向けるのです。
この、アンビヴァレントな感情の表現は、
素晴らしかったです。
もう一か所。
ある時、つらくて眠れないでいるザカリの枕辺に、
幻想のシェエラザードが現れ、
彼に顔を寄せて囁くのです、
―T'es beau.
ぐっときました。
(そういえば、『伊豆の踊子』にも、
似たシーンがありました。
あれは現実ですが。)
二人はあまりに幼くて、
自分たちが何を失っているのかにまったく気づかない。
そこが、切ないです。
マルセイユの街のいかがわしさも、
存分に味わえます。
ザカリは途中、当然、OMのシャツも着ています。
フランス語でおもしろかったのは、
暴力的な仕返しに対して、
Ça, c'est la rue, ça.
という場面。
「それ、それは通りである、それは」
ですが、
「そんなのはストリートの流儀でしょ」
くらいでしょうか。
言葉は文脈だ、というのを再認識させられます。
音楽のリストです。
"Sad
Disco" - Keli Hlodversson
"Liberta"
- NOR
"Marabouté"
- NOR
"Tony
Montana" - Moolah SKWAD
"Les quatre saisons : l'été" -
Vivaldi
"Eyeyo Breto" - Ilan Abou, Sylvain
Lux, Zoubida Benabi
"Sakakini"
/ "Renounce" - Jacub Stambach
"Milano"
- Soolking
"Tu
deuh" - Moolah SKWAD
"Vem
Novinha" - Puzzling
Soolking の Milano はよかったです。
それにしても、やっぱりシェエラザードというのは、
響きのいい名前ですね。
ちなみに、R-コルサコフなら、
わたしはゲルギエフ版の濃厚さが好きです。