2020年2月29日土曜日

『ハイヒールの男』

レベルが高い韓国映画、
でも気になるのがセクシャリティーの表現についての意識です。
とりわけ、ミソジニー。

で、見てみたのが、

『ハイヒールの男』(2014)

です。

https://www.youtube.com/watch?v=0v9o86mVrCs

人気俳優チャ・スンウォンを起用し、
ある「ニューハーフ」の選択とその結果を描いています。

刑事ユン・ジウクは、強靭な体と、
秀でた格闘の能力ゆえ、警察内の「男の中の男」として活躍していました。
が、実は彼は、子どものころから、
自分の性的オリエンテーションに苦悩し続けています。
つまり、彼が「男の中の男」であろうとするのは、
自分の中の「女」を拒絶することの裏返しだったわけです。
ただ、ユンは、もう耐えられなくなっていました。
警察を辞職し、手術を受け、
女として生きていく決心をしたのです。
そして辞表が受理された後、
けれどもユンは、事件の現場に戻ることを余儀なくされます……

<ネタバレします>

この映画がミソジニーであるかどうか、
それは微妙ですが、
わたしは、そうじゃないだろうという考えに至りました。
実は、ラストのシークエンスの直前まで、
かなり根深いミソジニーがあると感じていました。
というのは、物語を引いて眺めると、
ユンが「女性」になる選択をしたために、
多くの人が死に、
何の罪もない人が危険に巻き込まれてゆく、
という構造になっているからです。
それはあたかも、
「男」が「女」になることは罪である、
さらに言えば、
「女」であることは災いである、
とさえ読めるからです。
けれども、ラストのシークエンスを見て、
考えてしまいました。
それは、事件が片付いた後、
髭を生やし、
「男」のままでいることを選択したかに見えるユンが、
クルマを運転するシークエンスです。
ギアを変えようとしたユンの手がクロースアップされると、
その小指だけが立っているのです。

この「小指が立つ」という動きは伏線があり、
それは、ユンを「兄貴」と慕う若い刑事が、
ユンが同性愛者であることに気づく場面と繋がっている、
つまり「小指」は、
ユンの中の性的オリエンテーションの表現なのです。
(この表現自体の良し悪しは、今は措いておきます。)
で、「男」が「女」になろうとした結果、
どんな大きな悲惨が起きたにもせよ、
それでもなおユンは、「女」であろうともがいている。
ユンには選択肢など、本当はない。
「女」であるほかに、ユンは自分になれない。
それをさせないのは、「社会」のほうなのではないか……
ユンの「小指」ゆえに、
物語の価値は、まるごとひっくり返ってしまうようにも見えるのです。

チャ・スンウォンは、
料理番組などでも人気を博した俳優だそうです。
彼は、古い価値観に風穴を開ける俳優なのかもしれません。