2020年4月9日木曜日

『殺されたミンジュ』

今日はあたたかくいい天気でしたが、
結局、外へは出ませんでした。
で、
今年の韓国映画48本目、

『殺されたミンジュ』(2014)

を見てみました。
先日見た『プンサンケ』が、
できはともかく「何か」を感じさせる作品だったので、
やっぱりキム・ギドクはすごいかも、と思って、
彼の監督・脚本の映画を選びました。
この映画は、
アマゾン・レヴューでは評価が低いのですが、
わたしはなかなかの意欲作で、
実験映画的な要素もあり、
見る価値は十分あると思いました。

https://www.youtube.com/watch?v=nkuf39S8v9U

映画の冒頭で、
ミンジュという少女がいきなり殺されます。
(彼女が誰なのか、どんなバックグラウンドを持っているのか、
それは映画の最後まで語られません。)
そして、この殺人事件の実行者たち、
それを命じた指揮系統の人間たち、が、
順に拉致され、
罪を自白させられます。
でもこの、彼らを拉致する集団は誰なのか?
それは、どうも公的機関ではなく、
さまざまな「不満」を抱く人たちの集まりらしいのです。
「ミンジュ」は殺されてはならない、
と考える人たち……

この映画について、
キム・ギドクはこう語っています。

映画の冒頭で殺される女子高生オ・ミンジュとは誰なのか?
観客それぞれの“殺されたオ・ミンジュ”が存在するだろう。
それがどんな人物であれ、観客はこの映画を見終えるために、

自分自身のオ・ミンジュを存在させなければならない。
それから、結末を受け入れるか、あるいは否定することになるだろう。
もし殺された者の気持ちを知っているなら、この映画を見る必要はない。
きっと理解してくれる人がいるだろうと信じて、この映画を撮った。
理解してもらえなくても、どうすることもできない。

これが現状で、現在の私たちの姿なのだから。

なるほど。
「ミンジュ」は象徴なのですね。
それは、ふつうに考えれば、
「理念」であるのでしょう。
自由なり、公平なり、民主主義なり、
あるいはもっと個人的な信条でもあるかもしれない。
ただおもしろいのは、
それを棄損した人的システムに報復する集団は、
それ自体、また理不尽なシステムに変質していってしまうのです。

森友事件の、赤木さんを思い出させるシーンもありました。
システムに蹂躙され、死へと追い込まれてしまうのは、
もっとも良心的な人なのでしょう。
厚顔な人間たちは、
のさばり、嘯くのでしょう。
ただ、彼ら自身も、
システムの正体は知らないのです……