『サニー/32』(2018)
『止められるか、俺たちを』(2018)
を見てみようとしたんですが、
前者は、途中で挫折してしまいました。
これは、ある中学の女性教師が、
子ども時代に殺人を犯した別人と勘違いされ、
この犯人を崇める狂信的集団に誘拐・監禁される、
というお話です。
途中までなのでいい加減ですが、
おそらくは、こうした物語から、
「現代の病理」とか、「闇」とかいうものを
析出させようという試みなのでしょうけれど、
物語そのものにまったく乗れませんでした。
後者は、
故・若松孝二監督、および彼の独立プロに集まってきた人たちの、
いわば青春群像劇で、
時代は、1969年から72年までです。
三島由紀夫が自殺したり、
パレスチナ問題が登場したり、
時事的なネタも入っています。
(ちょっと不思議なのは、
わたしから見れば1回り以上年下の若い監督から、
この時代の話を聞くことです。)
こちらは、最後まで、
それなりに興味を持って見ることができました。
ただ、なにしろ今から半世紀も前のことなので、
登場人物たちが話す内容の、
問題設定そのものが、遠いものに感じられます。
なので、
問題を一緒に考えるというよりは、
そういう問いを大事にしていたのね、という感じでした。
また、たとえば、
若松監督と足立正生が、パレスチナ問題に関わっていく件など、
(まあ、事実とはちがうのかもしれませんが)
かなり情緒的に見えます。
パレスチナ問題の歴史的経緯も、
ヨルダンとの関係も、一切説明はありません。
また、若松監督が終始言い続ける、
「ぶっこわす」といういわばアナーキーな宣明もまた、
(どれほど深いとしても)
情緒的なものに感じられます。
もちろん、それが悪いというわけではありませんが。
映画も見ず、本も読まず、
(本人によれば)誰の影響も受けず、
映画を撮り続けた監督……
というイメージが提示されるわけですが、
正直言って、ピンときません。
映画を見、本を読み、
可能な限り多様な影響を受けた監督の、
そのネットワークの編み目からにじみ出してくるような映画、
わたしはそちらのほうに惹かれます。
もちろん、観念的なものを求めているわけではまったくありません。
映画なんですから。
というわけで、
これで白石作品を、4本+途中まで1本、
見たことになります。
ネトフリで、生活が変りましたね。