2021年9月16日木曜日

『シャン・チー』

話題の映画、『シャン・チー』、見てきました。
院生(たち)が見終わっていて、
一人は早くも時評をアップして


いて、しかもかなり褒めているので、
これは見とかないと、話に乗り遅れる!
というわけです。


で……
すご~~くおもしろかったです。
でも、ネタバレなしでコメントを書くことはできないので、
以下、完全なるネタバレです。
なんなら、
ごらんになってから読んでいただいた方がいいかもです。



*******以下、ネタバレ********

一番唸ったのは、「母親の村」です。
あれは、父親や主人公たちが住む世界に対する、
パラレル・ワールドですね。
ただそれは、いわば理想がされた(≒実在しない)パラレル・ワールド。
で、
その世界は「女性原理」というものに貫かれていて、
通常の「男性原理」社会のカウンターになっている。
ただ、理想化された世界といっても、
すべてが理想的に進んでいるというわけではなく、
そこには「男性原理」的な要素が降りかかってくることもある。
洞窟に閉じ込められていた魔物は、まさに、「男性原理」の、
もっと正確に言うなら、男性原理の核を成す「所有に対する欲望」
(≒帝国主義、植民地主義、家父長主義……)
の形象化に見えました。
だからこそ、魔物は父親に呼びかけ、彼を駆動させるのでしょう。
理想化された世界でさえ、そうした「欲望」を退ける過程では犠牲者が出るくらい、
そのくらい魔物は強烈だと。

そして、『シン・エヴァ』でも、
『西鶴一代女』でも、
「家族」とは「家父長制/封建制」そのものであり、
一般には、そこからの離脱が「近代」への歩みとみられるわけですが、
『シャン・チー』が優秀なのは、そんなことではなく、
そのカウンターとなるパラレル・ワールドを設定したことで、
「近代」とは違う方向へのパラダイム転換の可能性を視覚化したことなのでしょう。
もちろん、シャン・チー自身は、2つの世界に身を置き、
両者をつなぐ役割です。
彼は、2つの世界を往還できる主人公です。
ただし妹については、
事実上「男性原理」世界の住民でした。
そこで、男性原理に則って成功していたのであり、
「村」への希求は薄かった。
その意味では、彼女は映画の「意味」を背負っていなかったように思います。
一方、母と叔母は、二人で一人なのでしょう。

叔母が主人公に武術を教える場面で、
叔母が甥の拳を、
そっと開かせるところがあるのですが、
これは、男性原理から女性原理への、
パラダイム・シフトの瞬間なのでしょう。

もちろん、こういう説明を試みると、
「男性」と「女性」で話を進める危うさはあります。が、
これはそういう映画だと思いました。
脚本の David Callaham は、
『ワンダーウーマン1984』の脚本にも参加していますね。
かなり似た構造にも思えます。
(こちらについては、明日書きます。)