まずは、前回見た『勝手にしやがれ』との比較のために、
『霧の波止場』(1938)
を見ました。
WWⅡ突入直前、
インドシナ帰りの脱走兵をジャン・ギャバンが演じます。
お相手は、若きミッシェル・モルガン。
比較のために、
と書きましたが、
そもそもこれは、サドゥールの評言で、
その意図を確認しよう、と思ったわけです。
2作は、単純に言ってそれほど似てません。
ストーリー的には、
殺人犯が逃亡し、けれども最後は撃たれて死ぬ、
という点はたしかに同じですが、
その理由が、
『勝手にしやがれ』では、好きな女性が密告したからであり、
『霧の波止場』では、恥をかかせた恋敵に復讐されるから。
これは似てません。
ただ、学生が、2作の共通点は「停滞感だ」と言いだし、
そう言われてみればたしかにそうなのでした。
1938の停滞と、1960の停滞。
前者は分かりやすく、
後者はやや複雑ですが。
言うまでもなく、
ヌーヴェル・ヴァーグの先兵として知られる『勝手にしやがれ』ですが、
こうして、
1930年代の作品との繋がりを探ることも、
ゼミ的には意味のあることだと思っています。