2021年9月14日火曜日

『西鶴一代女』

溝口の「傑作」と言われる

『西鶴一代女』(1952)

むかしBSだったかで見た記憶があるんですが、
アマプラ散歩中に見かけて、
(まあ、ほとんど覚えていないこともあって)
見てみることにしました。
1950『羅生門』、
1953『東京物語』、
1954『ゴジラ』、
の間に挟まれていることになります。


2時間近い長尺。
舞台は江戸時代の奈良。
そこで暮らす一人の女性が、
変転しながらも「転落」していくさま描いています。
時間の構成はよくあるタイプで、
まず冒頭に「現在」を置き、
そこから長い回想に入り、
最後はまた「現在」に戻って、
少しだけ変化があって終わる、という流れです。
もちろん中心は、長い回想にあります。

中級武士の家に育ったお春、
「低い身分」の男性との逢瀬が「犯罪」とされ、
男性は死罪、
お春の一家は洛中を追放されます。
その後お春は、松平家の殿様の「妾」となり、
男児を出産したりもしますが、
結局は追い出され、
父親が作っていた莫大な借金のために遊女になり、
いったんはやさしい男と所帯を持つことができたものの、
夫が物取りに殺され、
それ以降は、転げ落ちるように、
最底辺の娼婦にまで成り果てます。
権威主義と、家父長制と、男性中心主義に翻弄され、
受動的な生き方以外選ぶことが許されなかった環境で、
お春はもがき、墜ちてゆきました。

というわけで、物語はつらいものですが、
やはり、映画としては、見応えがある。
白黒で長尺ですが、
まったく苦にならない。
さすが「傑作」と言われるだけのことはあると思いました。

こういう映画なので、
「PC的にアウト」の箇所などいくらでもありますが、
そうしたものも、
なんというか、
突き放して撮られており、
家父長制などを擁護している印象はありませんでした。
(とはいえ、
こういう制度を告発するのではなく、
女性の悲運という物語にしてしまうこと自体、
現代においては評価しづらい、
という意見もありえるのでしょう。)

1952年に見た観客たちは、
自分たちの時代と、
どの程度重ねてみていたのでしょうか?
訊いてみたいですね。