『西鶴一代女』(1952)
むかしBSだったかで見た記憶があるんですが、
アマプラ散歩中に見かけて、
(まあ、ほとんど覚えていないこともあって)
見てみることにしました。
1950『羅生門』、
1953『東京物語』、
1954『ゴジラ』、
の間に挟まれていることになります。
2時間近い長尺。
舞台は江戸時代の奈良。
そこで暮らす一人の女性が、
変転しながらも「転落」していくさま描いています。
時間の構成はよくあるタイプで、
まず冒頭に「現在」を置き、
そこから長い回想に入り、
最後はまた「現在」に戻って、
少しだけ変化があって終わる、という流れです。
もちろん中心は、長い回想にあります。
中級武士の家に育ったお春、
「低い身分」の男性との逢瀬が「犯罪」とされ、
男性は死罪、
お春の一家は洛中を追放されます。
その後お春は、松平家の殿様の「妾」となり、
男児を出産したりもしますが、
結局は追い出され、
父親が作っていた莫大な借金のために遊女になり、
いったんはやさしい男と所帯を持つことができたものの、
夫が物取りに殺され、
それ以降は、転げ落ちるように、
最底辺の娼婦にまで成り果てます。
権威主義と、家父長制と、男性中心主義に翻弄され、
受動的な生き方以外選ぶことが許されなかった環境で、
お春はもがき、墜ちてゆきました。
というわけで、物語はつらいものですが、
やはり、映画としては、見応えがある。
白黒で長尺ですが、
まったく苦にならない。
さすが「傑作」と言われるだけのことはあると思いました。
こういう映画なので、
「PC的にアウト」の箇所などいくらでもありますが、
そうしたものも、
なんというか、
突き放して撮られており、
家父長制などを擁護している印象はありませんでした。
(とはいえ、
こういう制度を告発するのではなく、
女性の悲運という物語にしてしまうこと自体、
現代においては評価しづらい、
という意見もありえるのでしょう。)
1952年に見た観客たちは、
自分たちの時代と、
どの程度重ねてみていたのでしょうか?
訊いてみたいですね。