ちょうど1週間前の特別講義。あの時の話で、みなさんにご紹介しようと思っていたエピソードがあります。
宮内さんは、ある時アフリカでバスの乗っていたそうです。ただそのバス、ところどころ床に穴が開いていて、地面の草が見える!
でしばらく走っていると、前触れなくバスが止まりました。運転手が振り返ります。
「誰かタバコ持ってない?」
じゃあ、というんで宮内さんが持っていたタバコを取り出すと、実は運転手が欲しいのは、タバコそのものじゃなく、包み紙の銀紙でした。運転手は銀紙をちぎってコヨリ状にすると、ちょっとしゃがみこんで、その銀紙でなにか細工しているようなのです。そして…… エンジンがかかりました!
そしてその「タバコ持ってない?」はさらに何度か繰り返され、それでもなんとか走っていました。
やがて沿道に、「ロッジ」の看板が。宮内さんはあわてて降ろしてもらい、去りゆくバスの後ろ姿を見送ります。で、え~と、ロッジはと……
ありません! どっこにも、それらしき建物など影も形も!
宮内さん、しかたなく歩き出しました。でもなんか恐ろしいので、ポケットの中のアーミー・ナイフを固く握りしめて。そしてさらにその恐怖から逃れようと、あえて考え事をすることに。で、考え始めて、考えて、考えて……
その時宮内さんは、あることに唐突に驚かされます。ああ、なぜこんなアフリカの道をとぼとぼ歩きながら、それでも俺は日本語で考えてるんだろう! ものすごい違和感!
そこで宮内さんは、今度は英語で考えることにしました。でも……、それは母語ではないので、なんだか中学生レベルのことしか考えられないのです。ああ、やっぱり考えるってのは、言葉なしでは不可能なんだなあ……
なかなか面白い話ですよね? ポイントは2つ。まず、いかにわたしたちが言語によってプログラムされているか、ということ。これはこのブログでも、触れたことがありましたね。(でもこちらのエピソードのほうが面白いので、来年度から授業でその話題を出す時には、必ずこのエピソードを使います!)
もう1点は、まあそのまま、人間、考えるときは言葉を使うんだ、ということです。
みなさん、英語でもフランス語でも、24時間を表現してみる、って挑戦したことあるでしょうか? わたしも昔、ときどき試みました、じゃあ今日は英語! と決めると、朝出かけた後は、なるべくすべてを英語で考える(少なくとも表現する)ように務めるのです。これが、難しい! ほんとに、考えることの内容が、すごく狭苦しくなるんです。(ま、あくまでわたしの場合は、ですけど!)
そうそう、すぐそこにあるかと思ったロッジは、なんと40キロ先! にあったそうです。