2022年4月30日土曜日

『ヒズ・ガール・フライデー』


ハワード・ホークス第4弾として、

『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)

を見てみました。(アマプラ)
1940、ということは、
WWⅡのさなかに公開されたわけで、
実際セリフの中にも、
ヨーロッパでの戦火に言及する場面があります。
主演は『赤ちゃん教育』のケーリー・グラントと、
ロザリンド・ラッセルです。


新聞社のやり手編集長ウォルターと、
敏腕女性記者のヒルディは離婚したばかり。
仕事一辺倒の生活に嫌気が差したヒルディは、
「ふつう」の男ブルースと婚約し、
田舎に引っ込む予定です。
で、その出発の直前、
ヒルディはブルースとともに元夫に挨拶に立ち寄りますが、
それはちょうど、
ある「犯人」の死刑が執行されるかどうかで、
新聞社が騒然としている真っ最中でした。
ヒルディたちはさっさと発とうとしますが、
ウォーターはあの手この手でヒルディを引き留め、
彼女の中の、記者魂を再び燃え上がらせようと画策します。
そして……、彼の作戦は成功。
あわれブルースは母親と田舎に向かい、
ウォルターとヒルディはよりを戻すのでした。

と、ラストまで書いてしまいましたが、
これは見始めてすぐ予想のつく展開です。
この映画の見所は、このベタなオチではなく、
そこに至る過程での、
ヒルディとウォルターを中心とした生きのいい会話にある、
ということになっていて、
まあたしかにそうでした。
いわゆる「スクリューボール・コメディ」の代表作であり、
「スクリューボール・コメディ」がどんなものか、
よく感じられる作品です。

ただ、ベタであるとはいえ、
このストーリーにはやや違和感もあります。
ヒルディは、ずっとウォルターを拒絶していたのに、
最後にはよりを戻す決心をします。
(ブルースはとても哀れで可哀想すが、
まあ、これは仕方ないとしましょう。)
ただ、その瞬間、
ウォルターは彼女に、
ブルースの後を追うように言うのです。
で、ヒルディは泣く。
せっかくよりを戻そうと思ったのに、というわけです。
Mmm...  ブルースへの憐憫はほとんどないのに、
ここで泣かれても…… という感じ。
またウォルターのこの態度も、
ここまでの卑怯なやり口も、
やはり違和感があります。
まあコメディーなのにそんなこと言わなくても、
という意見もあるでしょうが、
ちょっと乗り切れない部分はありました。

ところで、タイトルにある「フライデー」は、
ロビンソン・クルーソーに出てくるあのキャラで、
となるとこのタイトルのニュアンスは、
「フライデー」みたいに従順な「彼の女」、
という感じになるのでしょう。
となると……、どうでしょう、
ここにも少し違和感が出てきます。
ヒルディは、きわめて有能な記者で、
自立した女性に見えるのですが、
最後は結局、ウォルターのもとに戻り、
彼が思い描いていたような流れに収まってしまいます。
このあたりを「フライデー」的だというのでしょうが、
それはまったく男性中心主義で、
ヒルディは「男性的ファンタスム」の具現化、ということになります。
そして実際、
こうした女性を「ホークス的女性」とする指摘もあるようです。
となると、「男」たちは見て楽しいでしょうが、
当然大いに問題もあるということになりますね。

ちなみに、このロザリンド・ラッセルという主演女優、
美人なので言いにくいんですが、
なんとなく、
わたしが子どもの頃亡くなった母親を思い出しました。
笑った感じとか、似てるなあと……
こんなこと思うの、
珍しいんですけどね。

そしてゴダールは、『アワーミュージック』の中で、
映画製作について説明する際、
この『ヒズ・ガール・フライデー』のグラントとラッセルの写真を使っています。