ついそのまま見始めたのが、
『Passing 白い黒人』(2021)
タイトルにある passing とは、ここでは、
「(黒人が白人として)通ること、通用すること」
を意味しています。
1920年代のニューヨーク、
会話の中にはジョセフィン・ベイカーなども登場する時代です。
アイリーンとクレアは、
ともにハーレムで育ちましたが、
両親を亡くしたクレアは白人の家に里子に行き、
そのまま二人の関係は途絶えていました。
ところでこの二人は、
黒人ながら、かなり肌が白く、
着るものなどによっては白人として「通用する」のです。
とりわけクレアは白人男性と結婚し、
豊かな生活を(表面上は)楽しんでいます。
そんな二人が、あるホテルの喫茶室で再会するのです。
アイリーンは、医師の夫と二人の息子に囲まれ、
今もハーレムで充実した暮らしを送っています。
けれどもクレアは、
白人の仮面を被りつつけることに疲れ、
ハーレムに、故郷に戻りたいと言うのです。
ここまでは、期待できる映画でした。が……
このあと映画は、
二人の女性の嫉妬を巡る物語に変質してゆきます。
このことと、二人の肌が白いこととの間には、
本質的な関係はないように見えます。
なので、当初提示されたテーマは、
掘り下げられることなく投げ出された印象です。
さらにいえば、
終わりが雪で「白」く閉ざされていくのも、
どうかなと思いました。