2022年4月29日金曜日

『フォクシー・ブラウン』

というわけで、
1970年代黒人「強い女性」映画、
まずは、

『フォクシー・ブラウン』(1974)

を見てみました。
(1974というのは、
『ゴッドファーザーPARTⅡ』の公開年でもあります。
あの頃なんですね。)


これは後年、
タランティーノが
『ジャッキー・ブラウン』
を撮ることになる切っ掛けとなった映画です。

ヒロインであるフォクシー・ブラウン(パム・グリア)は警察官。
アフリカ系である恋人ダルトンは麻薬捜査官で、
2年間の潜入捜査で組織の実態をつかんだものの、
陪審員が買収され組織は無罪に。
ダルトンは報復を恐れ、
警察の庇護の元整形手術を受けますが、
それを見破って組織に密告したのは、
なんとフォクシーの実の兄でした。
この兄は、麻薬密売の末端で仕事をする、
いわゆるダメ人間でした。
そしてダルトンは組織に殺されてしまいます。
復讐を誓い、
兄を脅し組織の状況を聞き出したフォクシーは、
街の自衛団の協力を取り付け、
(というのも警察は信用できないからです)
ついに組織に立ち向かうのです……。

民族的な勢力図で言うと、
まず、麻薬組織の上層部は全員白人で、
トップは女性キャサリン、
その「所有物」である恋人男性スティーヴが、
殺人もいとわない実働部隊のリーダーです。
そしてこの組織の「客」は、
街の黒人コミュニティであり、
ここに鋭い民族的対立があります。
街の自警団(全員黒人)も、
これは、麻薬を通した「第二の奴隷制度」だと指摘します。
(現代でも、悪名高いオピオイドを庶民に売り、
上層部は彼らの「生き血」を吸っている、という風にも考えられます。
似てます。)
ちなみに警察組織は、基本的に白人が多いですが、
黒人たちもたしかに含まれています。

一人、やや特殊な立ち位置なのが、
フォクシーの兄です。
彼は黒人で、白人の恋人を持ち、
白人組織の手下として、
主に黒人相手の麻薬の売人をしています。
そして彼は、
妹の恋人(黒人)を白人組織に売り、
その白人組織に殺されます。
つまり彼は、どちらのコミュニティにも近寄りながら、
本当には、どちらにも属せなかった人です。
アイデンティティーに最も大きな困難を抱えていたのは、
この兄かもしれません。

<以下、ネタバレします>

組織に立ち向かったフォクシーは、
キャサリンが一番大事にしているもの=スティーヴ、を、
痛めつけることで、
キャサリンにも喪失の痛みを味わわせようと企みます。
そして、ついに自警団とともにスティーヴを捕らえたフォクシーは、
スティーヴの急所をナイフで切り取らせ、
それを瓶詰めにして、
キャサリンに「プレゼント」するのです。
ストーリー上、これは個人的な復讐なわけですが、
当然、黒人社会による、
白人男性的な搾取に対する去勢行為だと言えるでしょう。
それは同時に、白人女性への処罰でもあるわけです。
そしてやはり、この映画の新しさは、
男性ばかりの自警団と協力し、
白人的搾取=悪、に罰を与えるのが、
フォクシー=黒人女性だという点にあるのでしょう。

ただ、wiki の英語版には、
この映画に対する批判も紹介されていました。
(出典もあるので、一応信用できそうです。まだ確認してませんが。)
いわく、黒人女性像が混乱を招くものになっている、
黒人社会における暴力と麻薬の摂取というステレオタイプを用いている、
というわけです。
とりわけ後者については、
せっかく黒人社会がそうしてことから脱皮しようとしているのに、
古いステレオタイプを持ち出すのはよろしくない、ということのようです。
また、パム・グリア演じるフォクシーは、
ヒロインでありながら、娼婦に扮したり、
ワルモノに捕らえられている時にも裸体がのぞいたりと、
およそ「期待されるヒロイン像」とは違っていて、
これは黒人女性の「物」化というステレオタイプをなぞっていることになる、
という指摘もあります。
これらの指摘は、どれも「一理ある」と感じます。
特に、ヒロイン像云々のところは、
どれほどフォクシーがかっこよくて革新的でも、
否定できないものがあります。
現代風に言えば、消費的、ということになるのでしょう。

とはいえ、
このフォクシー・ブラウンが新しいヒロインであることは、
やはり間違いないのだと思います。