2022年4月9日土曜日

雑種

『ブライト』は浅かった、
『ホワイト・ティース』はよかった、
と書きましたが、その1つの例証を。

『ホワイト・ティース』はとても長い小説なんですが、
その中で、若いジャマイカ系イギリス人女性が、
もう、移民としての過去、
そこから来るアイデンティティーなんてめんどくさい、
どんどん混じり合っていけば、
そんなのなくなるのに、
と思う場面があります。
(もちろん、そう思わない人物たちも登場します。)
この感じは、
直接『戦争より愛のカンケイ』の中で示された考え、
雑種が増えれば世界は平和になる、
に繋がるのでしょう。
あるいは、ストロマエの Bâtard にも。


これに対して、
『ブライト』に登場したオーク(族)のジャコビーは、
オークとしては「雑種」だったのですが、
手柄を立てたため、
オークの「純血種」に「昇格」するのです。
これは、まったく分かってないと言わざるを得ないでしょう、
特に、移民社会の比喩に見える映画内においては。
「純血種」なんて、存在しないのですから。
そんな幻想が、むだな争いを生みもしてきたのですから。
ここが、『ブライト』の一番の弱点なんかないでしょうか?

映画って、ほんとに脚本が大事ですね。