2021年8月30日月曜日

『アイヒマン・ショー』

アイヒマン関連4本目、

『アイヒマン・ショー』

を見てみました。
アイヒマンを「拉致」する前後については、
『オペレーション・フィナーレ』に詳しかったので、
今度は、その後の裁判そのものに焦点を当てたものを見たかったからです。
(『スペシャリスト』もあるんですね。)


タイトルに「ショー」と入っているので、
もっと娯楽的なものかと思っていたのですが、
全然ちがいました。
考えてみれば、この題材で、
面白おかしくできるはずもありません。

これは…… 胸が締め付けられます。
ナチの非道について、
600万人を殺したことについて、
知らないわけではないし、
かつて『夜と霧』も見たことはありますが、
それでもやはり、
裁判の過程で明らかになる事実、
そしてそれが語られる様子には……

1つ、まったく知らなかったこと。
それは、この裁判(1961)以前のイスラエルでは、
ホロコーストのサヴァイヴァーたちが、
むしろ「蔑視」されていたということです。
あたかも、彼らが、
その一部だったかのように。
そしてそれは、
その経験を語っても、
そんなのは嘘だ、作り話だ、と一蹴され、
そのあと口を噤むよりなかった、
という事情からきているようです。
だからこそ、
このアイヒマン裁判で、
ナチの非道が明るみに出たことの意味は大きかったわけです。

それからこれも知らなかった、
というか、気づかなかったんですが、
この裁判が行われていた時期は、
同時に、
ガガーリンが月に到着し、
キューバ危機が高まっていました。
この映画の主人公たちは、
裁判を中継し注目を集めることが1つの目的でしたから、
ガガーリンやキューバは、
その意味でライヴァルだったのです。
この3年後が、
東京オリンピックです。

アイヒマン小特集、
一応ここで見終わりますが、
それにしても、
モサドやフリッツ・バウアーの活躍の背景には、
「人類最大の罪」と、
「歴史上最大の裁判」が横たわっています。
これからも、
「アイヒマン」は語り直されてゆくのでしょう。