『アイヒマン・ショー』
を見てみました。
アイヒマンを「拉致」する前後については、
『オペレーション・フィナーレ』に詳しかったので、
今度は、その後の裁判そのものに焦点を当てたものを見たかったからです。
(『スペシャリスト』もあるんですね。)
タイトルに「ショー」と入っているので、
もっと娯楽的なものかと思っていたのですが、
全然ちがいました。
考えてみれば、この題材で、
面白おかしくできるはずもありません。
これは…… 胸が締め付けられます。
ナチの非道について、
600万人を殺したことについて、
知らないわけではないし、
かつて『夜と霧』も見たことはありますが、
それでもやはり、
裁判の過程で明らかになる事実、
そしてそれが語られる様子には……
1つ、まったく知らなかったこと。
それは、この裁判(1961)以前のイスラエルでは、
ホロコーストのサヴァイヴァーたちが、
むしろ「蔑視」されていたということです。
あたかも、彼らが、
その一部だったかのように。
そしてそれは、
その経験を語っても、
そんなのは嘘だ、作り話だ、と一蹴され、
そのあと口を噤むよりなかった、
という事情からきているようです。
だからこそ、
このアイヒマン裁判で、
ナチの非道が明るみに出たことの意味は大きかったわけです。
それからこれも知らなかった、
というか、気づかなかったんですが、
この裁判が行われていた時期は、
同時に、
ガガーリンが月に到着し、
キューバ危機が高まっていました。
この映画の主人公たちは、
裁判を中継し注目を集めることが1つの目的でしたから、
ガガーリンやキューバは、
その意味でライヴァルだったのです。
この3年後が、
東京オリンピックです。
アイヒマン小特集、
一応ここで見終わりますが、
それにしても、
モサドやフリッツ・バウアーの活躍の背景には、
「人類最大の罪」と、
「歴史上最大の裁判」が横たわっています。
これからも、
「アイヒマン」は語り直されてゆくのでしょう。