アマプラの表示内の
『アイヒマンを追え!』(2015)
が、ふと目に入りました。
そういえばアイヒマンは、モサドに捕まったはず。
で、勢いで見てみました。
そして見終わって、
おもしろかったのだけれど、
ちょっと消化不良のところがあったので、そのまま、
アイヒマンの居所をモサドに教えた
『検事フリッツ・バウアー』(2016)
も見てみました。
両者は、描いている時代が大きく重なっていて、
結果的に、相互補完的になっている印象もあります。
ただ……
正直言って、まだ物足りない。
バウアーがどういう人間で、
どうやってアイヒマンの居所を知り、
その結果どうなったのか、
の表面的な事柄はわかるのです。
ただ、もう一つ深いところに届いて欲しい感じ。
映画としては、
前者の方がうまく組み立てられていると思いました。が、
アイヒマンが使っていた偽名を見つける件が、
意外なほど単純で、ちょっと拍子抜けの間も。
ほんとうは、こんなに簡単じゃなかったんでしょうが。
それにしても、
敗戦したドイツにとって、
ナチの記憶を蒸し返し、それを裁判にかけることは、
大きな苦痛を伴っていたでしょう。
ドイツは、それでも、
きちんとやった、と(一般に)評価されています。
いや、ほんとはそうなっていない、という、
トルコ移民の声もあるようですが。
フランスは、WWⅡに勝ったことになっていますが、
実質は負け組。
だって、たとえばパリだって、
戦争期間の大半は、ドイツに占領されていたわけですから。
フランスでもまた、
戦争の後、戦中の記憶は早く忘れたいものでした。
日本ではどうでしょう?
まず、責任をとるべき「人」が、とらなかった……
現代の政治家たちの無責任、そして責任転嫁ぶりの原点は、
ここにあったと考えることもできるでしょう。