2022年1月15日土曜日

「奴隷の韻律」

多くの日本語話者の「DNA」には、
七語調のリズムが深く根付いているのでしょう。
藤村や八十を読む時、
百人一首を読む時&聞く時、
わたしたちはある種の「快感」を感じますが、
それは、もちろんそのリズム故のことでしょう。
なんなら、
このリズムに乗っていれば、
内容は問わないことさえできるかもしれません。

で、
それを「悪用」したのが、
戦時中の日本。
全国各地で、
このリズムに乗せた戦意高揚の詩の朗読会を開き、
ワカモノたちに戦意をすり込んでいったのです。
だからこそ、戦後、
七語調は「奴隷の韻律」と蔑まれ、
多くの詩人たちは、
そこから離れよう、
少なくともそこからズレていよう、
と考えたのでした。

でもしぶといのは七語調、
消費社会の興隆に、
気づかれないまま潜入し、
同情するなら金をくれ、
彼女が水着に着替えたら、
おせちもいいけどカレーもね、
生き延びるための方策は
功を奏していきました。

で……

でも考えてみたら、
実地でそのまま使ったことはないんですよね。
というわけで、
ちょっと書いてみました。

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濃い灰色のセーターの

肩の丸みに目を載せて

くるぶし包む木枯らしに

午後の祈りを打ち明ける

 

さざめく声の水紋が

コーヒー豆の渋皮の

サバンナ渡る砂風に

明日の記憶をつぶやけば

 

ビルは背骨をつと伸ばし

一筋もれた夕光は

細い指先あたためて

 

折り重なった時の背の

フォッサマグナの泡立ちに

まだ見ぬ瞳を思い出す


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ちょっと楽しいかも!?